イギリスでは、有名なベヴァリッジ報告をはじめ、○○報告というのがいろいろ出されています。
日本と同じようにオイルショックを境に福祉の拡大から縮小へと転じ、報告書の内容もそのように変化していきます。
そして「コミュニティケア」というキーワードで時系列に沿って覚えていきましょう。
1911年 国民保険法
イギリスでは1911年に初めて国民保険法という社会保険制度ができました。
ドイツにすでに施行されていた制度を参考に制定され、「健康保険」と「失業保険」を含む制度になりました。
1939年 レイン報告
報告書はイギリスで出されたものが大半ですが、このレイン報告だけアメリカです。
レイン報告では、地域のニーズに応じて社会資源を調整する「ニーズ・資源調整説」が提唱され、コミュニティオーガニゼーションはニードと資源との調整を維持・促進するプロセスであると考えられました。
1942年 ベヴァリッジ報告
イギリスで最も有名な報告書といえば、このベヴァリッジ報告です。
5大巨悪
ベヴァリッジ報告では以下の「5大巨悪」が示され、これらを解決するための社会保障制度の仕組みが提唱されています。
・疾病
・無知
・不潔
・怠惰
社会保障制度
「5大巨悪」に打ち勝つため、ベヴァリッジは社会保障を以下の3種類で構成しました。
・国民扶助
・任意保険
日本の社会保障制度と同じように、社会保障の中心は社会保険です。
社会保険と国民扶助によってナショナルミニマムを保証できるようにし、ナショナルミニマム以上の生活水準を望む人には任意保険で対応することとしました。
国はナショナルミニマムを保証し、国家の介入は最小限になるような制度設計です。
ナショナルミニマムは、日本では憲法25条の生存権「健康で文化的な最低限度の生活」に位置づけられるものだよ。
ウェッブ夫妻が初めてナショナルミニマムを提唱したときは、賃金・労働時間・住宅・公衆衛生・教育・環境など多岐にわたる包括的な意味だったけど、ベヴァリッジ報告では最低限度の生活保障を意味するようになり、現在でもそのような意味で用いられるよ。
社会保険制度
社会保障の中心である社会保険制度は、以下の3つの内容が主になっています。
保健・リハビリテーションサービス
雇用の維持
児童手当の支給は将来の国のため、将来の国を担う子供への支援を手厚くすることが重要と考えられたんだね。
当時イギリスは戦争中だったことやチャーチル首相が福祉の拡大に消極的だったことから、全項目実施には数年がかかりましたが、最終的に当時のアトリー首相は「福祉国家」が正式にスタートすることを国民に告げ、「揺りかごから墓場まで」といわれる社会福祉体制が完成しました。
1959年 ヤングハズバンド報告
ソーシャルワーカーに関する調査委員会でソーシャルワークの機能を再検討し、ソーシャルワーカーを増やす必要性が提唱されました。
その中でソーシャルワーカーの養成・研修コースを開設して、専門性を高めるように勧告しました。
グリーンウッドが「ソーシャルワークは専門職である」と提言したのは1957年だったね。
1968年 シーボーム報告
このシーボーム報告で提言されたのは福祉サービスを提供していた各部局の統合です。
高齢者や障害者に対するサービスが分野別に提供されていたことから、保健部、福祉部、児童部といった複数の部局を統合しました。
単一の部局による包括的なサービス提供が目指されたのです。
「部局がシボム、シーボーム」と覚えてね。
これにより地方自治体社会サービス法などが制定されコミュニティケアが推進されました。
1969年 エイブス報告
このエイブス報告ではボランティアの役割が書かれています。
ボランティアの役割は専門家にできない新しい社会サービスを開発することであるとされました。
1973年 オイルショック
日本ではこのオイルショックを機に、老人医療費無料化の廃止など、大盤振る舞いしていた福祉を縮小する方向に向かいましたね。
イギリスでもそうなっていきます。
1978年 ウォルフェンデン報告
オイルショックでイギリス経済が大きな打撃をうけ、公的機関による福祉が困難になってしまいました。
そこでボランタリー組織の役割を強調するなど、民間も含めた多元的な供給体制(福祉多元主義)に頼ることになり、このころから福祉が縮小されていきます。
ウォルフェンデン報告では、福祉における国家の役割の縮小と分権化、民間の参加の推進が提唱されていきます。
福祉ニーズを充足する部門を、インフォーマル、ボランタリー、法定(公定)、民間非営利の4つに分類しています。
1979年 サッチャー政権「小さな政府」
サッチャー政権では国家の役割の縮小を進め、民営化や福祉の削減という「小さな政府」化を推し進めたことで経済は活性化しましたが、貧富の差は拡大し、若者の失業率も増加してしまいました。
このような 国家による福祉や公共サービスの縮小と、大幅な規制緩和や市場原理主義を重視する経済思想を「新自由主義」といいます。
新自由主義と比較して、国家による富の再配分を進めるのが「社会民主主義」だね。
1982年 バークレイ報告
バークレイ報告では、ケースワーク、グループワーク、コミュニティワークを統合したコミュニティソーシャルワークを提言しました。
2014年に「サイレント・プア」という深田恭子さん主演のドラマがあったけど、彼女が演じていたのがコミュニティソーシャルワーカーだよ。深キョン!
ドラマでは、地域のゴミ屋敷や社会的孤立などの問題解決に奔走するコミュニティソーシャルワーカーが描かれていたね。
コミュニティワークはコミュニティオーガニゼーション(地域組織化活動)などの間接援助技術です。コミュニティソーシャルワークは直接援助技術なので別物です。
1988年 グリフィス報告
グリフィス報告では、コミュニティケアを施設や病院だけでなく在宅で家族や周りの人々にも広げ「施設から在宅へ」と福祉多元主義が具現化され、コミュニティケアに関して地方自治体が責任をもつことが謳われました。
当時のサッチャー政権の「福祉削減・反福祉国家路線」へのお墨付きを得て、高齢者の入所施設の財源を国から地方に移譲する等が実施されました。
コミュニティケアのため資源を有効活用すべき、市場原理の導入やケアマネジメント導入、コミュニティケア計画の策定などが謳われました。
1988年 ワグナー報告
ワグナー報告では、入所施設などの機能や役割について報告されており、「積極的な入所施設の利用の選択と入所施設の支援に以下の5つのCを取入れることを勧告しました。
Choice
Continuity
Change
Common values
キーワードは「施設積極的選択」です。
1990年 国民保健サービス及びコミュニティケア法
1990年、日本では福祉八法改正で福祉の大転換がなされました。
同じ年、イギリスではグリフィス報告に基づいて「国民保健サービス及びコミュニティケア法」ができ、日本と同じく福祉政策の大転換が図られました。
この法律で、施設中心のサービスから在宅などのコミュニティサービスへ転換が図られ、ケアマネジメントの実施が取り入れられました。
アメリカで始まったケースマネジメントはイギリスでこの法律によってケアマネジメントとして具現化したわけです。
ボランティアセンターやコミュニティの役割を重視し、施設や在宅ケアの権限や財源を地方自治体へ移譲しました。
1997年 ブレア政権「第三の道」
ベヴァレッジの社会民主主義でも、サッチャー政権の小さな政府でもない、第三の道を唱えたのがブレア政権下のアントニー・ギデンズです。
サービス提供主体の多元化を促進したコミュニティケア改革を継承しボランタリーやコミュニティの役割を重視しています。
まとめ
このようにイギリスでは様々な報告書が出されていますが、全国民に最低限度の生活を保障したベヴァレッジ報告を始めとして、その後コミュニティケアの展開が一連の報告書の流れになっています。
シーボーム報告で部局を統合してコミュニティケアを推進、ウォルフェンデン報告ではオイルショックの打撃により「福祉多元主義」を打ち出し、その後のサッチャー政権でさらに福祉が縮小されていきます。
バークレイ報告ではコミュニティソーシャルワークが提言され、その後のグリフィス報告ではコミュニティケアを施設や病院だけでなく在宅で家族や周りの人々へも「福祉多元主義」を具現化していきました。
このグリフィス報告に基づいて「国民保健サービスおよびコミュニティケア法」が制定されコミュニティの役割重視が法定化され、その後のブレア政権でもコミュニティケア改革を継承しています。
年 | 報告書 | 国 | キーワード | |
---|---|---|---|---|
1939年 | レイン報告 | アメリカ | ニーズ・資源調整説 | |
1942年 | ベヴァリッジ報告 | イギリス | 5大巨悪、社会保険国民扶助任意保険 | |
1959年 | ヤングハズバンド報告 | イギリス | ソーシャルワーカーの養成・研修コースを開設 | |
1968年 | シーボーム報告 | イギリス | 部局の統合 | |
1969年 | エイブス報告 | イギリス | ボランティアの役割 | |
1973年 | オイルショック | |||
1978年 | ウォルフェンデン報告 | イギリス | 福祉多元主義 | |
1982年 | バークレイ報告 | イギリス | コミュニティソーシャルワーク | |
1988年 | グリフィス報告 | イギリス | 福祉多元主義の具現化 | |
1988年 | ワグナー報告 | イギリス | 施設積極的選択 |
過去問
第29回 問題33
イギリスの各種の報告書における地域福祉に関する次の記述のうち、最も適切なものを1つ選びなさい。
1 シーボーム報告(1968年)は、社会サービスにおけるボランティアの役割は、専門家にできない新しい社会サービスを開発することにあることを強調した。
2 エイブス報告(1969年)は、地方自治体がソーシャルワークに関連した部門を統合すべきであることを勧告した。
3 ウォルフェンデン報告(1978年)は、地方自治体の役割について、サービス供給を重視した。
4 バークレイ報告(1982年)は、コミュニティを基礎としたカウンセリングと社会的ケア計画を統合した実践であるコミュニティソーシャルワークを提唱した。
5 グリフィス報告(1988年)は、コミュニティケアの基礎となるナショナル・ミニマムの概念を提唱した。
1 シーボーム報告(1968年)は、社会サービスにおけるボランティアの役割は、専門家にできない新しい社会サービスを開発することにあることを強調した。
これはエイブス報告の内容なので間違いです。
2 エイブス報告(1969年)は、地方自治体がソーシャルワークに関連した部門を統合すべきであることを勧告した。
これはシーボーム報告の内容なので間違いです。
3 ウォルフェンデン報告(1978年)は、地方自治体の役割について、サービス供給を重視した。
ウォルフェンデン報告は、民間のボランタリー組織の在り方について検討された報告書で、福祉多元主義を打ち出しています。
福祉多元主義なので、公的機関も民間も、みんなで福祉を支えようという考えなので、地方自治体のサービス供給を重視したというのは間違いです。
4 バークレイ報告(1982年)は、コミュニティを基礎としたカウンセリングと社会的ケア計画を統合した実践であるコミュニティソーシャルワークを提唱した。
バークレイ報告のキーワードはコミュニティソーシャルワークですので正しいです。
深田恭子が演じたコミュニティソーシャルワーカーは、このバークレイ報告で提唱されたものです。
5 グリフィス報告(1988年)は、コミュニティケアの基礎となるナショナル・ミニマムの概念を提唱した。
ナショナルミニマムとくればベヴァリッジ報告なので間違いです。
第32回 問題25
「ベヴァリッジ報告」に関する次の記述のうち、最も適切なものを1つ選びなさい。
1 福祉サービスの供給主体を多元化し、民間非営利団体を積極的に活用するよう勧告した。
2 従来の社会民主主義とも新自由主義とも異なる「第三の道」路線を選択するように勧告した。
3 ソーシャルワーカーの養成・研修コースを開設して、専門性を高めるように勧告した。
4 衛生・安全、労働時間、賃金、教育で構成されるナショナル・ミニマムという考え方を示した。
5 社会保障計画は、社会保険、国民扶助、任意保険という三つの方法で構成されるという考え方を示した。
1 福祉サービスの供給主体を多元化し、民間非営利団体を積極的に活用するよう勧告した。
これはウォルフェンデン報告の内容です。
ウォルフェンデン報告ではボランタリー組織の役割を強調するなど、民間も含めた多元的な供給体制(福祉多元主義)が謳われました。
2 従来の社会民主主義とも新自由主義とも異なる「第三の道」路線を選択するように勧告した。
「第三の道」は、1999年にイギリス・ブレア政権のもとで社会学者のギデンスが提唱しました。
この時からイギリスは社会主義でもなく市場主義でもない「第三の道」を進みます。
3 ソーシャルワーカーの養成・研修コースを開設して、専門性を高めるように勧告した。
これはヤングハズバンド報告の内容です。
1959年にイギリスで「地方自治保健・福祉サービスに関する調査委員会の報告書」(ヤングハズバンド報告)が出されました。
4 衛生・安全、労働時間、賃金、教育で構成されるナショナル・ミニマムという考え方を示した。
間違いです。衛生・安全・労働時間・賃金・教育という包括的なナショナル・ミニマムの考え方を示したのはウェッブ夫妻で、ベヴァリッジ報告のナショナルミニマムは最低限の生活保障を意味する限定的なものになりました。
5 社会保障計画は、社会保険、国民扶助、任意保険という三つの方法で構成されるという考え方を示した。
これが正解です。
社会保障は、社会保険、国民扶助、任意保険の3つを組み合わせるというものでした。
次の記事
次は、ブースやラウントリーによって発展してきた貧困理論を取り上げます。
コメント
バークレイ報告、
本文中では1982年になってますが、
最後のまとめの表のところで1978年となってます。
バークレイ報告は1982年でした。
ご指摘ありがとうございましたm(_ _)m
新自由主義と、自由主義の説明は逆ではないですか?
政府が介入するのが新自由主義です。
新自由主義は「政府などによる規制の最小化と、自由競争を重んじる考え方」です。ですが、新自由主義というワードを用いるときに、この本来の意味とは全く逆の意味で用いられることがしばしばあります。例えば増税や金融機関の救済など、政府が介入する政策が新自由主義と呼ばれたり、、、。