「慈善組織協会COS」と「セツルメント運動」

慈善組織協会COS ソーシャルワークの展開
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ソーシャルワークは
・ケースワーク
・グループワーク
・コミュニティワーク
がそれぞれ発展し、最終的に統合されてジェネリックソーシャルワークとなります。

ここではケースワークの源流となったCOS、グループワークの源流となったセツルメント運動を見ていきます。

COSとセツルメントは国家試験に頻出で、対比させると覚えやすいです。

ちなみに、コミュニティワークとは地域組織化活動やコミュニティオーガニゼーションなどの間接援助技術です(コミュニティソーシャルワークは直接援助技術で別物です)。

セツルメント運動

セツルメント運動は民間人が貧困地域に赴いて、医療や宿泊場所を提供し貧困に苦しむ人を支える運動です。日本におけるセツルメント施設を、特に「隣保館」と呼んだりします。

セツルメント(settlement)とは「移住」という意味ですね。
貧困に苦しむ人がいる地域に移住して支援するということです。

1884年 トインビーホール@ロンドン 

アーノルド・トインビーという人が貧困問題対策としてのセツルメント施設を作ろうと試みている最中に亡くなってしまいました。

その志を引き継いだバーネット夫妻がその名を冠したトインビーホールを設立しました。

これが世界初のセツルメント運動です。

1886年 ネイバーフットギルト@ニューヨーク

トインビーホールを設立したバーネット夫妻の教えを受け、コイトがニューヨークでアメリカ初のセツルメントとなるネイバーフットギルトを設立しました。

1889年 ハルハウス@シカゴ 

こちらもトインビーホールを設立したバーネット夫妻の教えを受け、アダムスは当時世界最大規模のセツルメントとなるハルハウスを設立しました。

セツルメント運動といえばジェーン・アダムスですね、女性です。

シカゴのスラム街にハルハウスを建設し週に2,000人もの人を世話したそうです。

成人のための夜間学校、幼稚園、少年少女のためのクラブ活動などなどの機能がありました。

ジェーンアダムスは1931年にノーベル平和賞を受賞しています。

1891年 岡山博愛会@日本 

日本のセツルメント運動の始まりはアリスペティ・アダムスが設立した岡山博愛会でした。

同じアダムスでもハルハウスを設立したジェーンアダムスとは別人ですが、この人も女性です。

彼女は結婚せず自身も質素な暮らしをしながら恵まれない子どもたちを助ける活動をしました。

肺結核や乳がんに罹患してもセツルメント運動に奔走したまさに聖人です。
忘れられませんね、この人。

石井十次、留岡幸助、山室軍平とともに岡山四聖人の一人です。

アリスペティアダムスは、歯を食いしばって(891)、日本初のセツルメント運動に奔走した、と覚えましょう。

1897年 キングスレー館@日本 片山潜

片山潜は「かたやません」と読みます。

この人はトインビーホールを見学してセツルメント運動に感化され、東京にキングスレー館を設立しました。

こちらも日本初のセツルメントと言われることもあります。

両方覚えておきましょう。

1921年 大阪市立市民館(初の公営セツルメント)

民間に比べて公営のセツルメント施設ができたのは遅いです。

日本初のセツルメントは1891年、アダムスが歯を食いしばって(891)がんばってから、30年も経ってからです。

以上、セツルメント運動を紹介してきましたが、冒頭でも書いたように、セツルメント運動はグループワークの源流です。

ちなみに、YMCA(キリスト教青年会)もグループワークの源流と言われています。

祈祷会や聖書研究を目的に設立されレクリエーション活動やクラブ活動などのグループ活動を行っていました。

慈善組織協会COS

COS(Charity Organization Society)はイギリスのロンドンで誕生しました。

19世紀のイギリスでは資本主義が発展するとともに貧富の差が拡大していました。

貧困に苦しむ人に対して個々の慈善活動が行われていたのですが、救済漏れや不正受給などがあったため、各慈善団体をまとめて広く援助しようとしたのがCOSです。

友愛訪問員と呼ばれるボランティアが家庭訪問をするという形で始まりました。この友愛訪問員がケースワーカーの起源です。

アウトリーチというやつですね。

セツルメント運動では貧困の原因を「社会」にあると考えました。

一方でCOSでは貧困の原因を「個人」にあると考えました。

つまりCOSでは、自助の考えに基づき「貧困の原因は個人にある」として貧困者に生活態度の改善を促し、「救済に値する貧困者」と「救済に値しない貧困者」を区別したのです。

前者はCOSで、後者は新救貧法での救済になりました。

1869年 慈善組織協会COS設立@ロンドン

世界初のCOSです。イギリスのロンドンで始まりました。

世界初のセツルメントは1884年のトインビーホールでしたから、それよりもCOSの方が早かったのです。

1877年 慈善組織協会COS設立@ニューヨークバッファロー

後に「ケースワークの母」と呼ばれるリッチモンドがアメリカのCOS職員として働いていました。

1917年「社会診断」、1922年「ソーシャルケースワークとは何か」などの著書があります。

著書の内容でわかりますが、リッチモンドはケースワークの専門化に取り組みました。

セツルメント運動は専門化せず経験や勘で行動することを大切にしましたね。

1897年に全米事前矯正会議でリッチモンドは応用支援学校の必要性を提唱し、慈善活動の効果的実践のための夏季養成講座を開設しました。

このようにリッチモンドが取り組んできたケースワークの専門化は、その後どうなったのでしょうか。

1915年 フレックスナー「ソーシャルワーカーはいまだ専門職ではない」

フレックスナーは、専門職であるための6つの属性(基礎科学の存在、実用的であること等)に照らして、ソーシャルワークはいまだ専門職ではないと結論付けました。

リッチモンドはがっかりしたのでしょうか、その数年後のうちに以下の著書を発表します。

おそらくリッチモンドは、ソーシャルワークは専門職ではないと言われたことで、ソーシャルワークの専門化のために著書を発表していったのではないでしょうか。

1917年 リッチモンド「社会診断」

1922年 リッチモンド「ソーシャルケースワークとは何か」

1923年 ミルフォード会議

このころからケースワークの専門家が加速度的に進んでいきます。

1923年から毎年開催されたミルフォード会議では、1929年に「ソーシャルワーク、ジェネリックとスペシフィック」として報告書にまとめられました。

ジェネリック・ケースワークとは、各専門分野に共通する概念や方法などを示す基本的なケースワークです。一方でスペシフィック・ケースワークは各専門分野に固有の知識や技術などを示すケースワークです。

1957年 グリーンウッド「ソーシャルワークはすでに専門職である」

グリーンウッドは専門職に必要な5つの属性(体系的理論、専門職的権威、社会的承認、倫理綱領、専門職的副次文化)に照らして、ソーシャルワークはすでに専門職であると結論付けました。

ついにソーシャルワークは専門職であると認められたのですね。
ただ、リッチモンドはすでに亡くなっていました。

まとめ

下の比較表は重要ですのでしっかり覚えてください。

  セツルメント運動 慈善組織協会COS
貧困の原因 社会 個人  
専門化 専門化せず経験や勘に頼る 専門化を重視
代表的な人物 ジェーン・アダムス メアリー・リッチモンド

COSのリッチモンドはケースワークの専門化に奔走しましたが、経験や勘に頼った支援を重視していたセツルメント運動のアダムスの方が、ノーベル平和賞を受賞しました。

セツルメント運動で貧困に苦しむ人に寄り添った支援がノーベル平和賞につながったのではないでしょうか。

過去問

第28回 問題34

セツルメントに関する次の記述のうち、正しいものを1つ選びなさい。
1 日本におけるセツルメント運動は、アダムス(Adams,A.)が岡山博愛会を設立したことに始まるとされている。
2 中央慈善協会は、全国の主要な都市で展開されていたセツルメント運動の連絡・調整を図ることを目的として設立された。
3 留岡幸助は、大崎無産者診療所を開設し、セツルメント運動に取り組んだ。
4 大原孫三郎は、セツルメントの拠点としてキングスレー・ホールを開設した。
5 加賀豊彦は、神戸の貧困地域でのセツルメントの実践を「貧乏物語」にまとめた。

1 日本におけるセツルメント運動は、アダムス(Adams,A.)が岡山博愛会を設立したことに始まるとされている。
これが正解です。
アダムスは歯を食いしばって(1891年)、日本初のセツルメント運動を実施しました。

2 中央慈善協会は、全国の主要な都市で展開されていたセツルメント運動の連絡・調整を図ることを目的として設立された。
中央慈善協会は1908年に設立された社会福祉協議会の前身です。
セツルメント運動の連絡調整を目的としてできたのではありません。
中央慈善協会と慈善組織協会COSをゴッチャにして覚えてはいけません。
中央慈善協会は別記事で詳しく取り上げています。

3 留岡幸助は、大崎無産者診療所を開設し、セツルメント運動に取り組んだ。
留岡幸助は東京巣鴨や北海道にも家庭学校を設立した人でセツルメント運動とは関係ありません。

4 大原孫三郎は、セツルメントの拠点としてキングスレー・ホールを開設した。
キングスレーホールを開設したのは片山潜ですので間違いです。

5 加賀豊彦は、神戸の貧困地域でのセツルメントの実践を「貧乏物語」にまとめた。
貧乏物語は河上肇が執筆していますので間違いです。
貧乏物語は時々出てきますので覚えておきましょう。

第29回 問題93

慈善組織協会(COS)に関する次の記述のうち、最も適切なものを1つ選びなさい。
1 COSは、労働者や子どもの教育文化活動、社会調査とそれに基づく社会改良を目的に設立された。
2 COSの救済は、共助の考えに基づき、社会資源を活用して人と人が支え合う支援を行った。
3 COSは、把握した全ての貧困者を救済の価値のある貧困者として救済活動を行った。
4 COSは、友愛訪問員の広い知識と社会的訓練によって友愛訪問活動の科学科を追求した。
5 COSの友愛訪問活動の実践を基に、コミュニティワーカーに共通する知識、方法が確立された。

1 COSは、労働者や子どもの教育文化活動、社会調査とそれに基づく社会改良を目的に設立された。
間違いです。
COSの設立目的は、当時各地域でバラバラに行われていた救済活動について、それぞれの慈善団体同士の情報交換や協力体制を築くことで、よりよいものにしようとの考えからです。

2 COSの救済は、共助の考えに基づき、社会資源を活用して人と人が支え合う支援を行った。
COSは自助の考えに基づいています。
共助ではありません。

3 COSは、把握した全ての貧困者を救済の価値のある貧困者として救済活動を行った。
COSでは救済に値する者と値しない者に分けて救済活動を行いました。

4 COSは、友愛訪問員の広い知識と社会的訓練によって友愛訪問活動の科学化を追求した。
その通りです。
セツルメント運動は経験に基づいて活動していましたが、COSは科学化・専門化を追求しました。

5 COSの友愛訪問活動の実践を基に、コミュニティワーカーに共通する知識、方法が確立された。
COSが基になってできたのはケースワークですので間違いです。

日本でのケースワークの発展
リッチモンドがケースワークを専門化して以降、日本でもケースワークの発展が見られます。1924年「ケースウォークとしての人事相談事業」三好豊太郎<リッチモンドの著書>1917年「社会診断」1922年「ソーシャルケースワ...

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