今でも国民皆保険制度がないアメリカの社会保障について見ていきましょう。
アメリカの福祉政策の変遷
1909年 ホワイトハウス会議
児童福祉の歴史で、まず初めに出てくるのがホワイトハウス会議でした。セオドア・ルーズベルト大統領の招集で、子どもの福祉のために世界で初めて開催された会議です。
「家庭生活は最高にして最も美しい文明の所産である。児童は緊急にして止むを得ないニーズを除いては、家庭からひき離されてはならない」との声明が出されました。
1935年 社会保障法
1929年の世界恐慌による金融危機で失業者が増加、1933年に就任したフランクリン・ルーズベルト大統領は対策としてニューディール政策を実施しました。その中では、失業者を雇用するためダム建設などの公共事業を行いました。
また、ニューディール政策の一環として、1935年に社会保障法を制定し、年金保険と失業保険の2種類の社会保険、高齢者扶助、視覚障害者扶助、要扶養児童家庭扶助の3種類の公的扶助、母子保健サービス、肢体不自由児福祉サービス、児童福祉サービスからなる社会福祉サービスが創設されました。
この法律では世界で初めて、ソーシャルセキュリティ(社会保障)というワードが用いられました。
1964年 公民権法
1950年代から始まったキング牧師らによる黒人差別に対抗する公民権運動、その高まりによって1964年に公民権法が制定されます。
ケネディ大統領によって取り組まれていましたが、1963年に暗殺された後、当時副大統領だったジョンソン大統領が誕生し、キング牧師の公民権運動などの影響もあり、1964年に黒人選挙権の保障等を含む公民権法が制定されました。
1965年 社会保障法 改正
当時のジョンソン大統領は、貧困との闘いを宣言し、その一環として1965年に社会保障法が改正され、公的医療保障制度が実現します。高齢者を対象とするメディケア、低所得者を対象とするメディケイドが創設されました。
1990年 ADA(障害を持つアメリカ人法)
1990年に制定された障害を持つアメリカ人法(ADA:Americans with Disabilities Act )は、1964年に制定された公民権法が性別、出身国、宗教による差別を禁止していたように、障害を持つ人がアメリカ社会に完全に参加できることを保証したものです。
1996年 TANF(貧困家庭一時扶助)
1996年に、貧困家庭一時扶助(TANF:Temporary Assistance for Needy Families)が導入されました。要扶養児童のいる貧困家庭を対象として、一人親か二人親でも稼ぎ手が失業中という貧困家庭に期限付きの生活扶助を提供し、同時に就労支援を行うというものです。
「福祉から就労へ」(ワークフェア)を促進することを目的とした政策です。
まとめ
ニューディール政策の一環として制定された社会保障法、その後の改正で公的医療保障制度であるメディケアとメディケイドが創設され、2010年のオバマ政権によるオバマケアでは国民に医療保険制度への加入が義務化されましたが、現状でも皆保険制度には至っていません。
公的医療保険制度としては、高齢者や障害者が対象のメディケア、低所得者が対象のメディケイド、それ以外の大多数の被用者は民間の医療保険に加入することで対応しています。

過去問
第36回 問題23
次のうち、1930年代のアメリカにおけるニューディール政策での取組として、正しいものを1つ選びなさい。1 社会保障法の制定
2 公民権法の制定
3 メディケア(高齢者等の医療保険)の導入
4 ADA(障害を持つアメリカ人法)の制定
5 TANF(貧困家族一時扶助)の導入
(注)「障害を持つアメリカ人法」とは、「障害に基づく差別の明確かつ包括的な禁止について定める法律」のことである。
1 社会保障法の制定
これが正解です。1935年にニューディール政策の一環として社会保障法が制定されます。
2 公民権法の制定
誤りです。公民権法が制定されたのは、1964年です。
3 メディケア(高齢者等の医療保険)の導入
誤りです。メディケアが導入されたのは、1965年の社会保障法改正時です。
4 ADA(障害を持つアメリカ人法)の制定
誤りです。ADAが制定されたのは、1990年です。
5 TANF(貧困家族一時扶助)の導入
誤りです。TANFが導入されたのは、1996年です。
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次は、イギリスの福祉政策の歴史です。
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