【ケースワーク】M.リッチモンド、三好豊太郎、竹内愛二、仲村優一

ケースワークはソーシャルワークの最も基本となる個別援助技術です。

その歴史を見ていきましょう。

ケースワークの歴史

ケースワークの始まりは、「ケースワークの母」と呼ばれたM.リッチモンドです。

彼女は慈善組織協会COSの活動を通してケースワークの体系化・専門化に奔走します。

1917年「社会診断」、1922年「ソーシャルケースワークとは何か」などの著書も発表しています。

このようにリッチモンドが取り組んできたケースワークの専門化は、その後どうなったのでしょうか。

1915年 フレックスナー「ソーシャルワーカーはいまだ専門職ではない」

フレックスナーは、専門職であるための6つの属性(基礎科学の存在、実用的であること等)に照らして、ソーシャルワークはいまだ専門職ではないと結論付けました。

リッチモンドはがっかりしたのでしょうか、その数年後の間に以下の著書を発表します。

リッチモンドは、ソーシャルワークは専門職ではないと言われたことで、ソーシャルワークの専門化のために著書を発表していったのかもしれません。

1917年 リッチモンド「社会診断」

1922年 リッチモンド「ソーシャルケースワークとは何か」

1923年 ミルフォード会議

このころからケースワークの専門化が加速度的に進んでいきます。

1923年から毎年開催されたミルフォード会議では、1929年に「ソーシャルワーク、ジェネリックとスペシフィック」として報告書にまとめられました。

ジェネリック・ケースワークとは、各専門分野に共通する概念や方法などを示す基本的なケースワークです。

一方でスペシフィック・ケースワークは各専門分野に固有の知識や技術などを示すケースワークです。

ジェネラリストはあらゆることを幅広くできる人、スペシャリストは特定のことに秀でている人だね。

1957年 グリーンウッド「ソーシャルワークはすでに専門職である」

グリーンウッドは専門職に必要な5つの属性(体系的理論、専門職的権威、社会的承認、倫理綱領、専門職的副次文化)に照らして、ソーシャルワークはすでに専門職であると結論付けました。

ついにソーシャルワークは専門職であると認められたのですね。
ただ、リッチモンドはすでに亡くなっていました。

日本のケースワーク3人衆

リッチモンドがケースワークを専門化して以降、日本でもケースワークの発展が見られます。

1924年「ケースウォークとしての人事相談事業」三好豊太郎

<リッチモンドの著書>
1917年「社会診断」
1922年「ソーシャルケースワークとは何か」
リッチモンドが上のような著書を出したころから、日本でもケースワーク理論が発展していきます。

ケースワーク導入期で従来の慈善事業や救済事業と思想的に異なる社会事業への転換期でした。

社会事業とは現在の社会福祉事業のことだね。

三好さんは著書のなかで、ケースワークを社会事業の技術として位置づけたんだよ。

ケースワークでなくケースウォークとなっているのが時代を感じます。

ビルディングがビルジングになっていた時代を思い出します。

1938年「ケースウォークの理論と実際」竹内愛二

竹内愛二はアメリカのケースワークを日本に導入した最初の研究者で、日本初のケースワークの体系的著書です。

彼は著書の中でアメリカの援助技術について論じています。

竹内さんが広めようとしたケースワークですが、当時の日本は戦争一色で、ほとんど受け入れられませんでした。

1956年「公的扶助とケースワーク」仲村優一

著書のタイトルにあるように、仲村は公的扶助とケースワークの「一体的な提供」を唱えました。

一方で、岸勇は公的扶助とケースワークは「分離すべき」と唱えました。

この岸と仲村の真逆の考えはぶつかり合い、「岸・仲村論争」と呼ばれました。

仲村さんは、生活保護のような金銭給付とケースワークを一体として行うことで、利用者が人間的に成長できるようにと考えたんだ。単に経済的な自立だけじゃなく、日常生活や社会性の自立も重要という立場だね。

でも岸さんは、金銭給付だけを必要としている人もいるって。ケースワーカーが金銭給付の権限も持ってしまうと、権力的になって良くないという考えですね。

このように岸と仲村は意見をぶつけ合って、以下の寄稿の応酬で議論が白熱しました。

1956年「公的扶助とケースワーク」by 仲村優一
1956年「公的扶助とケースワーク―仲村優一氏の所論に対して―」by 岸勇
1958年「公的扶助とケースワーク―岸氏の批判にこたえて―」by 仲村優一
1962年「再び仲村氏の『公的扶助ケースワーク論』に対して」by 岸勇
現在では、岸さんの言うように、福祉事務所のケースワーカーは金銭給付の権限も持っているので権力的になってしまいがちです。だから、ケースワーク部分を分離してアウトソーシングする生活困窮者自立支援制度などがあるのです。
カリスマ社会福祉士
カリスマ社会福祉士

仲村優一は、2015年のカリスマ社会福祉士の誕生日に亡くなったのだ。

ケースワーク関連の著書

人物著書
1917年M.リッチモンド社会診断
1922年M.リッチモンドケースワークとは何か
1924年三好豊太郎ケースウォークとしての人事相談事業
1924年小河滋次郎社會事業と方面委員制度
1938年竹内愛二ケース・ウォークの理論と實際
1951年永井三郎グループ・ワーク小團指導入門
1956年仲村優一公的扶助とケースワーク

まとめ(福祉年表)

福祉年表で時代を確認してみましょう。

日本のケースワークの歴史

1924年「ケースウォークとその人事相談事業」三好豊太郎と、「社会事業と方面委員制度」小河滋次郎は同じ年ですね。

小河滋次郎は、大阪府知事の林市蔵と方面委員制度を作った人でしたね。

1938年「ケースウォークの理論と実際」竹内愛二の翌年は、日本初の年金制度である船員保険法ができた年です。

そして、1956年「公的扶助とケースワーク」仲村優一の3年後には国民年金法ができて国民皆年金制度が実現しました。

なんとなく、年金制度とリンクしているように見えますね。

こじつけですが、そのように見ると頭には残りやすいでしょう。

「福祉年表」で視覚的に覚えよ
歴史問題は受験生が苦手とする分野ですが、福祉年表を目に焼き付けておくことで記憶の助けになります。この記事では福祉年表を用いて、特に覚えにくい「社会保障制度の歴史」等を記憶に留めていきます。COSとセツルメント運動1...

過去問

第31回 問題94

日本のソーシャルワークの発展に寄与した人物に関する次の記述のうち、正しいものを1つ選びなさい。
1 仲村優一は、著書『グループ・ワーク小團指導入門』において、アメリカのグループワーク論の大要を著した。
2 竹内愛二は、著書『社會事業と方面委員制度』において、ドイツのエルバーフェルト制度を基に方面委員制度を考案した。
3 永井三郎は、著書『ケース・ウォークの理論と實際』において、アメリカの援助技術について論じた。
4 小河滋次郎は、論文「公的扶助とケースワーク」において、公的扶助に即したケースワークの必要性を示した。
5 三好豊太郎は、論文「『ケースウォーク』としての人事相談事業」において、ケースワークを社会事業の技術として位置づけた。

1 仲村優一は、著書「グループ・ワーク小團指導入門」において、アメリカのグループワーク論の大要を著した。
これは間違いです。
「グループ・ワーク小團指導入門」を著したのは永井三郎です。1951年のことです。
仲村優一といえば1950年代の「岸・仲村論争」です。岸は公的扶助とケースワークは分離させるべき、仲村は一体化して行うべき、と真逆の意見で論争が繰り広げられました。
仲村は日本社会事業大学の教授などを務め2015年に亡くなっています。

2 竹内愛二は、著書「社會事業と方面委員制度」において、ドイツのエルバーフェルト制度を基に方面委員制度を考案した。
これも間違いです。
「社會事業と方面委員制度」を著したのは小河滋次郎で1924年のことです。
竹内愛二は日本に初めてケースワークを紹介した人で、1938年に「ケースウォークの理論と実際」を著しています。

3 永井三郎は、著書「ケース・ウォークの理論と實際」において、アメリカの援助技術について論じた。
これも間違いです。
「ケース・ウォークの理論と實際」は竹内愛二ですので間違いです。

4 小河滋次郎は、論文「公的扶助とケースワーク」において、公的扶助に即したケースワークの必要性を示した。
これも間違いです。
小河滋次郎は大阪府知事とともに方面委員制度を創設した人です。

5 三好豊太郎は、論文「『ケースウォーク』としての人事相談事業」において、ケースワークを社会事業の技術として位置づけた。
これが正解です。1924年のことです。

次の記事

次は、ソーシャルワークの専門性について。

今回見て来たフレックスナーやグリーンウッドの「ソーシャルワークは専門職か否か」について、その理論や根拠などを見ていきましょう。

【ソーシャルワークの専門性】ソーシャルワーカーは専門職か否か?
ソーシャルワークの対象は、高齢者の介護、障害者の社会参加、子育て支援、自殺や孤独死の問題、生活困窮者支援、少年非行や犯罪、不登校の問題、在日外国人への支援などなど、様々です。単にソーシャルワーカーと言っても、医療ソーシャルワーカー...

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