受験生が最も苦手とする社会保障、その中でも社会保障の歴史は苦手意識の強い受験生がほとんどではないかと思います。
この記事では、時系列に社会保障制度の歴史を書いていますが、実際、とても分かりにくいと思います。
覚えるコツは、福祉年表を活用して、「年金」「医療」「労働」などの分野ごとの歴史を、ストーリーとともに学んでいくことです。
記事の途中にある「福祉年表を用いた覚え方」まで飛ばし読みしていただいて、福祉年表で学んでください。
世界の社会保障制度の変遷
世界初の社会保険制度はドイツのビスマルクが作りました。
1883年 疾病保険法@ドイツ
1884年 災害保険法@ドイツ
1889年 養老・廃疾保険法@ドイツ
疾病保険法では無料の医療給付や傷病手当金、出産手当金などが支給されました。世界初の社会保障制度は労働者を守るためにできたのです。
日本初の社会保険制度は1922年の「健康保険法」ですが、これも被用者保険なので労働者を守るためにできています。
疾病保険法ができたころの日本では「恤救規則」が制定されて救貧政策やっていた時期です。
1911年 国民保険法@イギリス
イギリスで制定された国民保険法は当時、「健康保険」と「失業保険」を合わせたような法律で、失業保険としては世界初でした。
イギリスでも世界初の失業保険ができ、ドイツと同じように労働者を守るための制度からはじまりました。
1935年 社会保障法@アメリカ
世界恐慌の最中にルーズベルト大統領の下で社会保障法が制定されました。
世界恐慌の対応で完全雇用を目指してニューディール政策を実施しましたが、それでも救えない人に対してこの社会保障法で連邦政府が老齢保険、州政府が失業保険と公的扶助で支えました。
1942年 ILO「社会保障への道」
社会保障とは「社会が適切な組織を通じてその構成員が晒されている一定の危機に対して与える保障である」と定義。
この年にはイギリスでベヴァリッジ報告が発表されています。
1945年 ラロック・プラン@フランス
ラロックによる社会保障プランが発表され、被用者中心の制度から全国民のための普遍的な社会保障制度への拡充が図られました。
1960年 社会保障法改正@アメリカ
暗殺されたケネディの次の大統領ジョンソンが「貧困戦争」と名付けてフードスタンプ制度(低所得者向け食糧購入補助制度)やヘッドスタート制度(就学前教育)、メディケア、メディケイド等・・・
日本の社会保障制度の変遷
江戸時代~
日本で初めての社会保障制度は1922年の健康保険法ですが、古くは江戸時代から社会保障の萌芽が見られます。
頼母子講(タノモシコウ)
頼母子講は、何人か集まってそれぞれがお金を出し合って一人に与える、次には別の一人に与える・・・
このような共済的、金融的機能のある経済的救済を目的とした組織のことです。
1791年 七分積金制度
七分積金制度は、江戸や大阪中心の都市の救済のため、松平定信が寛政改革の際に江戸町方に命じた積立制度です。
町費の7割を積立て、凶荒時の救済や孤児や貧民の救済を行いました。
五保の制
五保の制は、近隣の五戸を一組として、納税や治安維持に協力しあうなど、共助の機能を持った農耕と貢納のための組織です。
江戸時代の五人組制度の源流です。
戸令
戸令は、疾病、障害、高齢者、経済的困窮者など救済の対象を細かく分け、まずは親族間による相互扶助で、それでも難しい場合は近隣地域社会が救済することが求められた制度です。
「親族間での相互扶助」を優先するといえば、恤救規則を思い出しますね。実際に1874年に制定された恤救規則に影響を与えています。

恤救規則は「相互の情誼」を優先するんだったね。
結
結は、田植えなどの農作業で、一時的に大勢の人手が必要な農繁期に協力し合い、別の日には別の人を皆で助けるという仕組みです。
戦前~
1922年 健康保険法 制定
日本で初めての社会保障制度は健康保険法による健康保険でした。
被用者の強制保険として開始され、主に低賃金労働者が対象でした。
しかし1923年の関東大震災により健康保険法施行が延期に。
1927年 健康保険法 施行
関東大震災で延期になった健康保険法がやっと施行されました。
業務上の災害も適用対象で現在の労災保険のようなものです。
1931年 労働者災害扶助法 制定
労災保険の前身です。戦後1947年に労災保険になります。
1938年 国民健康保険法 成立施行
国民の大半だった農民を対象、自営業者も。
しかし市町村の任意事業のため低所得者の多い自治体では設置されず、加入も任意でした。
1939年 船員保険法
健康保険法や国民健康保険法のような医療保険はできていましたが、初の年金制度はこの船員保険法です。
船員だけが対象の年金制度でした。
1941年 労働者年金保険法(厚生年金保険法の前身)
船員だけが対象の年金制度しかありませんでしたが、陸上の労働者にも年金制度を作りました。
完全積立方式でスタートしました(現在の厚生年金保険は賦課方式です)。
1944年 厚生年金保険法
対象を事務職員や女子労働者へ拡大してできたのが、この厚生年金保険法です。
これでほぼすべての労働者が厚生年金保険の対象になりましたが、農業や漁業を営む大多数の自営業者たちは加入できませんでした。
そして、1961年の皆年金制度へと向かっていきます。

厚生年金保険は終戦前にできてたんだねー
戦後~
1946年 日本国憲法 制定
日本国憲法には社会保障という言葉が初めて使用されました。
戦後の社会保障は生活保護中心で、社会保険は実質的に機能せずでした。
1947年 労働者災害補償保険法、労働基準法、職業安定法
日本国憲法の労働の権利を保障するためにできました。
労働者災害補償保険法は1973年の改正で通勤途上の災害も対象になります。
1947年 失業保険法
大戦後の失業者対策です。
この法律は1974年に雇用保険法になり失業保険とは別に雇用保険三事業(現雇用保険二事業)が設けられます。
50年代~
1950年「社会保障制度に関する勧告」
生活保障の責任主体は国家であり、その制度の維持運用に必要な社会的義務は国民
社会保障とは①社会保険②国家扶助(生活保護)③社会福祉④公衆衛生および医療(さらに現在は⑤老人保健)
そして社会保障制度の中心は社会保険制度という社会保険中心主義を打ち出しています。
これはイギリスのベヴァリッジ報告の影響を受けていて、生活保護のような社会扶助制度ではスティグマ(汚名)がつきまとうので良くないですよと謳われています。
1954年 厚生年金保険法 改正
それまでは保険料を積み立てる積立方式でしたが、修正積立方式に変更されました。
1958年 国民健康保険法 改正
市町村に設置義務、かつ強制加入の制度へ。
それまでは任意加入だったので公的医療保険制度に加入していない国民が多くいました。ここから国民皆保険制度へ向かっていきます。
1959年 国民年金法 制定
国民年金法は、大半を占めていた農民や自営業者等にも年金制度を、ということで制定され、1961年に施行されます。
これにより、国民皆年金制度へ向かっていきます。
国民年金法では、無拠出制(全額国庫負担)の年金として障害福祉年金が設けられました。国民年金制度の発足時には対象外とされていた知的障害者は、1965年より障害福祉年金の対象に加えられました。
60年代~
高度経済成長により国民の生活水準が上がることにより、皆保険・皆年金制度が求められてきます。
1961年 国民年金法 施行
これにより「国民皆保険・皆年金制度」が出来上がります。
当時は国民の多くは農民でしたから、皆保険によって農村の医療過疎に対応し、皆年金で後継ぎのいない農家の高齢化対策になりました。

皆保険制度開始時は、医療費が5割負担だったよ。
1962年「社会保障制度審議会勧告」
一般所得者層には社会保険、低所得者層には社会福祉、貧困階層には公的扶助(生活保護)をそれぞれ対応させるとしました。
社会福祉:低所得者層
公的扶助:貧困階層
社会保障制度を構成する社会保険、国家扶助、公衆衛生、医療等の各制度間および社会保障制度全般を通じての総合調整を図るとともに各制度間の不均衡の是正を最重要政策課題としました。
70年代~
1973年 「福祉元年」
・老人医療費無料化
・高額療養費制度導入
・年金の物価スライド制導入
1974年 雇用保険法
オイルショックで大量解雇を回避するために失業保険法が雇用保険法になりました。
80年代~
オイルショックによる高度経済成長の終焉と高齢化が顕著に。
1982年 老人保健法
高度経済成長が終わりを迎え、急増する高齢者の医療費が財政を圧迫するようになってきたため、老人保健法を制定し、老人医療費無料化を廃止しました。
この法律は2008年に「高齢者の医療の確保に関する法律」になり、後期高齢者医療制度が出来上がります。
1985年 年金制度 改正
オイルショックや高齢化の加速により、社会保障をスリム化する必要がでてきました。
このときに国民年金制度が基礎年金制度として再編成され、厚生年金と共済年金は報酬比例の上乗せ制度となりました。
・基礎年金制度の導入によって年金制度を一元化(国庫から保険料財源への転換)
・給付水準適正化(抑制)、32年から40年満額

1961年に国民皆年金制度ができてから、基礎年金制度ができたのはこのときなんだね。1986年施行だから、ハロー(86)クソ(基礎)年金で覚えてね。
1989年 年金制度 改正
・完全物価スライド制導入
・学生の国民年金強制加入
・国民年金基金の創設
90年代~
1994年 年金制度 改正
・特別支給の老齢厚生年金(定額部分)の支給開始年齢の段階的引き上げ
・育児休業中の保険料免除
1995年「社会保障体制の再構築に関する勧告~安心して暮らせる21世紀の社会保障を目指して~」
措置制度の見直しを提起し、介護保険制度の創設を強く示唆。
これまでの要保護者に対する生存権保障が最低限の措置にとどまってきたことを指摘しました。
1997年 健康保険法 改正
00年代~
2000年 介護保険法 制定、年金制度 改正
・特別支給の老齢厚生年金の支給開始年齢引き上げ(65歳まで段階的に)
・学生納付特例制度導入
・育児休業中の事業主負担分の厚生年金保険料免除
2000年 ドイツと日本で日本初の社会保障協定
両国間の年金制度への加入期間を通算して、年金を受給するために最低必要とされる期間以上であれ
ば、それぞれの国の制度への加入期間に応じた年金がそれぞれの国の制度から受けられるようになりまし
た。
2004年 年金制度 改正
・マクロ経済スライド導入
・国民年金保険料、厚生年金保険料引き上げ
・基礎年金の国庫負担を1/3から1/2へ(2009年~)
・年金額改定方式の見直し
・育児休業中の保険料免除期間の延長(3歳まで)
・離婚時の夫婦の厚生年金分割
2007年 年金制度 改正
・老齢厚生年金の繰り下げ支給制度
・国民年金保険料引き上げ
2007年 日本年金機構法
社会保険庁に変わって2010年に日本年金機構が発足しました。
2008年 高齢者医療確保法
老人保健法が「高齢者の医療の確保に関する法律」に全面改正され、後期高齢者医療制度ができました。
2012年 老齢基礎年金受給資格期間を25年→10年へ
福祉年表を用いた覚え方
以下の記事では、福祉年表を用いて社会保障制度の歴史を視覚的に覚える方法を伝授しています。
上で見てきた覚えにくい内容が、年金、医療保険、労働保険などに焦点を当てて福祉年表で確認することで、非常に分かりやすく覚えられます。
「福祉年表で視覚的に覚える」手法を確認してみてください。
下の過去問を解いた後で上の記事を読むと、過去問が簡単な問題に変わります。
過去問
第29回 問題49
日本の社会保障の歴史的展開に関する次の記述のうち、正しいものを1つ選びなさい。
1 被用者を対象とした社会保険制度として、まず健康保険法が施行され、その後、厚生年金保険法が施行された。
2 最初に実施された公的医療保険制度は、国民健康保険である。
3 後期高齢者医療制度は、介護保険制度と同時に創設された。
4 国民皆年金は、基礎年金制度の導入によって実現した。
5 第二次世界大戦後、社会福祉の制度は、身体障害者福祉法、児童福祉法、生活保護法の順に施行された。
1 被用者を対象とした社会保険制度として、まず健康保険法が施行され、その後、厚生年金保険法が施行された。
そのとおりです。
2 最初に実施された公的医療保険制度は、国民健康保険である。
国民健康保険ではなく「健康保険」です。
3 後期高齢者医療制度は、介護保険制度と同時に創設された。
介護保険制度は2000年、後期高齢者医療制度は2008年なので違います。
4 国民皆年金は、基礎年金制度の導入によって実現した。
1961年に国民皆年金制度が実現しましたが、1986年の年金制度改革によって国民年金制度が全ての国民に共通の基礎年金制度として再編成され、厚生年金や共済年金は基礎年金の上乗せ部分と位置付けられました。
5 第二次世界大戦後、社会福祉の制度は、身体障害者福祉法、児童福祉法、生活保護法の順に施行された。
生活保護法→児童福祉法→身体障害者福祉法の順です。
傷痍軍人の優遇政策でGHQとモメタので身体障害者福祉法は遅れて施行されました。
第30回 問題52
公的年金制度の改革に関する次の記述のうち、最も適切なものを1つ選びなさい。
1 社会保障制度が本格的に整備されるようになった第二次世界大戦後、厚生年金保険制度が創設された。
2 国民年金法が1959年(昭和34年)に制定され、自営業者等にも公的年金制度を適用することにより、国民皆年金体制が実現することになった。
3 オイルショックに伴う急激なインフレに対処するため、1973年(昭和48年)改正により、厚生年金の給付水準を一定期間固定することとした。
4 持続可能な制度にする観点から、2004年(平成16年)改正により、老齢厚生年金の支給開始年齢を段階的に65歳から67歳に引き上げた。
5 将来の無年金者の発生を抑える観点から、2012年(平成24年)改正により、老齢基礎年金の受給資格期間を25年から30年に延長した。
1 社会保障制度が本格的に整備されるようになった第二次世界大戦後、厚生年金保険制度が創設された。
厚生年金の前身である労働者年金保険制度ができたのが1941年。
その後1944年に厚生年金保険に改名されました。なので大戦後ではありません。
2 国民年金法が1959年(昭和34年)に制定され、自営業者等にも公的年金制度を適用することにより、国民皆年金体制が実現することになった。
1959年に国民年金法が制定され、1961年に全面施行され、これによって国民皆年金が実現しました。
これが正解です。
3 オイルショックに伴う急激なインフレに対処するため、1973年(昭和48年)改正により、厚生年金の給付水準を一定期間固定することとした。
1973年は福祉元年でした。
この時の年金制度改正では標準年金の給付水準が5万円に引き上げられ、賃金スライドや物価スライドが導入されています。
厚生年金の給付水準を一定期間固定することは行われていません。
4 持続可能な制度にする観点から、2004年(平成16年)改正により、老齢厚生年金の支給開始年齢を段階的に65歳から67歳に引き上げた。
2004年の年金制度改正では、基礎年金の国庫負担割合の引き上げ(1/3→1/2)、保険料上限固定、マクロ経済スライドの導入などが行われました。
支給開始年齢の引き上げは行われていません。
5 将来の無年金者の発生を抑える観点から、2012年(平成24年)改正により、老齢基礎年金の受給資格期間を25年から30年に延長した。
30年に延長ではなく10年に短縮されました。
第31回 問題53
医療保障制度の歴史的展開に関する次の記述のうち、正しいものを1つ選びなさい。
1 健康保険法(1922年(大正11年))により、農業従事者や自営業者が適用対象となった。
2 老人福祉法(1963年(昭和38年))により、国民皆保険が実現した。
3 老人保健法(1982年(昭和57年))により、高額療養費制度が創設された。
4 介護保険法(1997年(平成9年))により、老人保健施設が創設された。
5 健康保険法等の改正(2006年(平成18年))による「高齢者医療確保法」により、75歳以上の高齢者が別建ての制度に加入する後期高齢者医療制度が創設された。
(注)「高齢者医療確保法」とは、「高齢者の医療の確保に関する法律」のことである。
1 健康保険法(1922年(大正11年))により、農業従事者や自営業者が適用対象となった。
このときの対象は被用者のみですので間違いです。農業従事者や自営業者が対象になったのは1938年にできた国民健康保険法、1958年の同法改正のときです。
2 老人福祉法(1963年(昭和38年))により、国民皆保険が実現した。
国民皆保険は1961年ですので間違いです。老人福祉法とは関係ありません。
3 老人保健法(1982年(昭和57年))により、高額療養費制度が創設された。
高額療養費制度ができたのは1973年の福祉元年でしたね。
4 介護保険法(1997年(平成9年))により、老人保健施設が創設された。
老人保健施設ができたのは老人保健法が改正された1986年です。
5 健康保険法等の改正(2006年(平成18年))による「高齢者医療確保法」により、75歳以上の高齢者が別建ての制度に加入する後期高齢者医療制度が創設された。
これが正解です。老人保健制度に代わる制度として後期高齢者医療制度ができました。
第29回 問題34
日本における地域福祉の前史に関する次の記述のうち、正しいものを1つ選びなさい。
1 頼母子講(タノモシコウ)は、共済的・金融的機能を持ち、経済的救済を目的とした組織のことをいう。
2 七分積金制度は、生活に困窮する者の救済を目的とした儒教的徳治主義を象徴とする天皇の慈恵政策のことをいう。
3 五保の制は、生活に困窮する者がいた場合には、まずは親族間での相互扶助を重視した制度のことをいう。
4 結は、江戸幕府の下で町人の負担する町の経費を節約した額の中から積立てをして、貧民や孤児を救済した制度のことをいう。
5 戸令(コリョウ)は、五戸を一組として、共助の機能を持った農耕と貢納のための組織のことをいう。
1 頼母子講(タノモシコウ)は、共済的・金融的機能を持ち、経済的救済を目的とした組織のことをいう。
これが正解です。
2 七分積金制度は、生活に困窮する者の救済を目的とした儒教的徳治主義を象徴とする天皇の慈恵政策のことをいう。
七分積金制度は江戸の町費の7割を積み立てる制度ですので違います。
3 五保の制は、生活に困窮する者がいた場合には、まずは親族間での相互扶助を重視した制度のことをいう。
これは戸令の説明です。
4 結は、江戸幕府の下で町人の負担する町の経費を節約した額の中から積立てをして、貧民や孤児を救済した制度のことをいう。
これは七分積金制度の説明です。
5 戸令(コリョウ)は、五戸を一組として、共助の機能を持った農耕と貢納のための組織のことをいう。
これは五保の制の説明です。
このタイプの入れ替え問題があることも合わせて知っておいてください。
正解が導きやすくなります。
第27回 問題50
社会保障制度に関する次の記述のうち、正しいものを1つ選びなさい。
1 1950年の社会保障制度審議会勧告は、日本の社会保障制度について、租税を財源とした社会扶助制度を中心に充実させるとした。
2 1952年の「ILO第102号条約」では、社会保障の給付事由の一つとして、すでに日本の介護保険法にいわれる意味での要介護状態にあることを挙げていた。
3 1962年の社会保障制度審議会勧告は、社会保障制度の体系化を構想し、社会福祉対策を「一般所得階層に対する施策」として位置づけた。
4 1981年の「難民条約」の批准に伴う法整備により、国民年金法、児童手当法、児童扶養手当法、特別児童扶養手当法から国籍要件が削除された。
5 1995年の社会保障制度審議会勧告は、後期高齢者医療制度の創設を提言した。
1 1950年の社会保障制度審議会勧告は、日本の社会保障制度について、租税を財源とした社会扶助制度を中心に充実させるとした。
間違いです。租税財源の社会扶助制度を中心にしてしまうと、いくら財源があっても足りません。中心にするのは社会保険制度であるべきですし、1950年の時点でそのように提言されていました。
2 1952年の「ILO第102号条約」では、社会保障の給付事由の一つとして、すでに日本の介護保険法にいわれる意味での要介護状態にあることを挙げていた。
間違いです。1952年の「ILO第102号条約」では、要介護状態は給付事由に含まれていません。
3 1962年の社会保障制度審議会勧告は、社会保障制度の体系化を構想し、社会福祉対策を「一般所得階層に対する施策」として位置づけた。
間違いです。1962年の社会保障制度審議会勧告では、貧困階層に公的扶助、低所得階層に社会福祉対策、一般所得階層に社会保険を位置づけました。
4 1981年の「難民条約」の批准に伴う法整備により、国民年金法、児童手当法、児童扶養手当法、特別児童扶養手当法から国籍要件が削除された。
これが正解です。
5 1995年の社会保障制度審議会勧告は、後期高齢者医療制度の創設を提言した。
間違いです。1995年の社会保障制度審議会勧告では、後期高齢者医療制度の創設は提言されていません。後期高齢者医療制度は、2008年の高齢者医療確保法の時ですから13年も前に提言されません。
第35回 問題49
日本の社会保障の歴史に関する次の記述のうち、最も適切なものを1つ選びなさい。
1 社会保険制度として最初に創設されたのは、健康保険制度である。
2 社会保険制度のうち最も導入が遅かったのは、雇用保険制度である。
3 1950年の社会保障制度審議会の勧告では、日本の社会保障制度は租税を財源とする社会扶助制度を中心に拡充すべきとされた。
4 1986年に基礎年金制度が導入され、国民皆年金が実現した。
5 2008年に後期高齢者医療制度が導入され、老人医療費が無料化された。
1 社会保険制度として最初に創設されたのは、健康保険制度である。
これが正解です。
2 社会保険制度のうち最も導入が遅かったのは、雇用保険制度である。
誤りです。最も導入が遅かったのは、2000年の介護保険制度です。
3 1950年の社会保障制度審議会の勧告では、日本の社会保障制度は租税を財源とする社会扶助制度を中心に拡充すべきとされた。
誤りです。社会扶助制度中心ではなく社会保険制度中心です。社会扶助制度中心では財政が持ちません。
4 1986年に基礎年金制度が導入され、国民皆年金が実現した。
誤りです。国民皆年金が実現したのは1961年です。
5 2008年に後期高齢者医療制度が導入され、老人医療費が無料化された。
誤りです。老人医療費が無料化されたのは1973年の福祉元年です。
次の記事
次はいよいよ5種類の社会保険の最後、介護保険制度を取り上げます。

コメント
この年表、一目瞭然でめっちゃ使えますね^_^